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トコロチャシ跡遺跡群は常呂川東岸の台地上にある遺跡です。アイヌ文化期のチャシ跡、オホーツク文化の竪穴住居跡をはじめ様々な時代・文化のものが発見されており、「常呂遺跡」の一部として国の史跡に指定されています。しかし、通路や案内板等がなく不便な状態のため、北見市ではこの遺跡の活用のための方策を検討してきました。
そして令和3年度から、いよいよこの遺跡の整備を開始することとなりました。整備工事の中心となるのはアイヌ文化期のチャシ跡とオホーツク文化の竪穴住居跡です。
特にチャシ跡については復元的な整備を計画しています。「チャシ」とはアイヌの人々が造った砦(とりで)であり、戦いだけでなく、儀式や祭りの場としても使われたと考えられています。トコロチャシ跡では発掘調査で当時の建物跡こそ見つかっていませんが、発掘調査の成果から柵や入口となる橋があった可能性が指摘されています。今回の整備ではこうした柵や橋を復元し、アイヌの人々が暮らしていたころのチャシの姿を再現する予定です。北海道では各地にチャシ跡が残されていますが、こうしたかたちで復元整備が行われるのは珍しいことです。
整備は令和3・4年度の2年度をかけて実施される予定です。一般公開が可能となるまで、まだ時間がかかることとなりますが、工事の完成まで、いましばらくお待ちいただければと思います。(2021年4月)
4月号でご紹介しました通り、今年度からトコロチャシ跡遺跡群の整備工事が始まりました。整備の核の1つがアイヌ文化期のチャシ跡です。これはアイヌの人々が築いた砦であり、祭りや会議の場など様々な機能をもっていたとされています。
北海道全体で500以上あったとされるチャシですが、遺跡が失われてしまっていたり、到達の難しい場所にあったりもするため、その実際の姿を気軽に見に行けるものは意外と多くはありません。北見市内でも、分かりやすい状態で残っていてアクセスしやすい場所にあるのはトコロチャシだけです。そこで今回は、北見市周辺で見に行きやすいチャシの遺跡をいくつかご紹介したいと思います。
まず最初にご紹介するのは網走市にある国指定史跡・桂ヶ丘チャシです(※史跡としての名称の表記は「桂ヶ丘砦跡」です)。国の史跡としてはオホーツク管内では最も早い昭和10年指定の、古くからよく知られている遺跡です。網走市立郷土博物館の隣接地にあり、自然の地形を利用しながら平坦地や堀が設けられている様子がよく分かります。
次にご紹介するのは、美幌町のリンナイチャシです。柏ヶ丘公園内の陸上競技場の南側に隣接する、崖に面した小高い場所にあります。隣の大きな陸上競技場と比べるとかなりこじんまりして見えますが、本来は現在公園になっている場所まで広がる、もっと大きな遺跡だったと言われています。周辺の地形や景観は様変わりしていますが、チャシの内部には浅くなってはいるものの堀で区画された痕跡も見ることができ、当時の面影を伝えています。
3つ目にご紹介するのは津別町のツペットウンチャシです。場所は津別21世紀の森内にある野球場の北側、道路の反対側の木立の中です。ここまで紹介した2つのチャシが周囲より高い場所を堀で囲むものだったのに対し、このチャシでは台地の崖に面した場所を堀で区画するという、別のタイプのチャシのつくりを見ることができます。チャシの内部は笹に覆われているため立ち入ることは難しいですが、崖に面して半円形の堀が2つ連なって配置されている様子は外周からも確認することができます。
いずれも知る人ぞ知るスポットですが、ここに紹介したチャシ跡は現地に看板も設置されており、場所さえ分かれば簡単に行けるところです。機会があったら訪れてみてください。(2021年9月)
2022年は、「トコロチャシ跡遺跡群」が国指定史跡となって20周年に当たります。もともと、栄浦・岐阜地区一帯に1974年指定の国史跡「常呂遺跡」があったわけですが、トコロチャシ跡遺跡群はこの「常呂遺跡」の範囲に追加するというかたちで指定されました。このため、所在地は複数の地点に分かれていますが、国指定史跡としての名称は全て「常呂遺跡」です。
国土地理院発行の地図などで確認してみると、常呂町の海岸沿いに「∴常呂遺跡」と書かれた場所が複数見つかるはずです。これは間違いではなく、「常呂遺跡」と呼ばれる個所が複数あることを示したものです。(「∴」は史跡の地図記号です。因みに、同じ「∴」でも一回り小さく、史跡名称が付いていない場合は茶畑の記号になります。)
上記リンク先の地図では、常呂川を挟んで東西に「常呂遺跡」の記載があります。表示範囲を西に移動すると、もう1箇所「常呂遺跡」が出てきます。
「トコロチャシ跡遺跡群」は史跡指定以降、見学のために整備することが検討されてきましたが、令和3年度から見学用の通路等の整備工事が始まりました。この地区はとりわけアイヌ文化のチャシ跡とオホーツク文化の竪穴住居跡の存在が重要なことから、整備もこの部分に重点が置かれています。工事は令和4年度も継続し、令和5年度の公開を目指しています。(2022年1月)
上の2021年9月の記事で北見市周辺の訪問・見学可能なチャシ跡をご紹介しました。今回はその続編として、前回より範囲を広げて採り上げてみます。
陸別町のユクエピラチャシ跡は、近隣では最も規模が大きいチャシ跡であり、国の史跡にも指定されています。利別川の西岸、陸別町市街地を一望できる断崖に面した場所に築かれています。
3条の深い空堀を組み合わせて配置した構造をしており、その一部はGoogleマップの航空写真でも確認することができます。発掘調査で、チャシの周りに白い火山灰が敷きつめられていたことが分かっており、その状態が復元整備されています。
小清水町のアオシマナイチャシも規模が大きく、見応えがある遺跡です。トウフツ湖の南東側、段丘崖に面した場所に築かれています。
チャシの周辺は「アオシマナイ遺跡」として知られている場所で、道路わきに標柱と解説の看板も立てられています。チャシ跡は、この看板の後ろに広がる空き地を越えた林の中にあります。空堀で囲んだ半円形の区画を2つ組み合わせた構造になっています。
斜里町・ウトロ地区の海岸にはウトロチャシ、オロンコ岩チャシがあります。
この2つのチャシは、海に突出した岩山に立地しており、切り立った崖に囲まれた地形を利用したものです。
オロンコ岩には散策路が整備されており、眺めの良い景勝地として親しまれています。
ウトロチャシは、この記事の掲載時点では、岩山のふもとまでしか立ち入りができません。同じ岩山の上にはチャシコツ岬上遺跡(オホーツク文化の集落遺跡)があり、2019年、国の史跡に指定されました。このときには特別に遺跡の見学会も行われましたが、安全な通路がないことから、現時点では山の上の一般公開はされていません。
春先、地面に草が生い茂る前のこの季節は、チャシのような遺跡を見るのに最適な時期です。機会があれば訪れてみてください。(2022年5月)
北見市周辺のチャシ跡について、昨年9月と今年5月のこのコーナーで採り上げてきましたが、今回は北見市内のチャシ跡についてご紹介します。市内では、トコロチャシ跡以外にも2か所のチャシ跡が知られています。
1つは相内チャシ(北見市豊田)です。場所は無加川南岸の山林内で、現地へ行くのは難しい位置にありますが、崖に面して空堀で半円形に区画した構造になっています。発掘調査では鎧の断片や、投石用に蓄えられたと考えられる丸い小石などが発見されました。出土品の一部は北網圏北見文化センターで展示されています(※2022年9月時点)。
もう1つは協和20遺跡(端野町協和)です。遺跡のそばを常呂川の支流チャシポコマナイ川が流れていますが、この川の名はアイヌ語で「チャシの下にある川」という意味とされています。ただし、明治時代の鉄道建設工事で壊されてしまったともいわれており、発掘調査でもチャシ跡である証拠は見つかっていません。
なお、ところ遺跡の森の中にもチャシ跡ではないかとされる場所がありますが、こちらも発掘調査では明確な証拠は得られていません。
現在整備を進めているトコロチャシ跡は、遺跡の保存状態がよく、現地にアクセスもしやすい貴重な遺跡となっています。(2022年9月)
トコロチャシ跡遺跡群は、常呂自治区にある国指定史跡「常呂遺跡」の一部を構成する遺跡です。常呂川東岸に位置し、アイヌ文化期のチャシ跡をはじめ、様々な時代と文化の遺構・遺物が発見されました。現在、この遺跡を一般公開するため、整備工事を実施しています。
整備工事では、敷地全体をめぐる遊歩道や解説看板を設置するとともに、遺跡の一部が再現展示されます。アイヌ文化期のチャシ跡(18世紀頃)では、空堀に沿って設けられたと考えられる柵のようすを再現します。また、オホーツク文化の竪穴住居跡(8~9世紀頃)では、屋内の様子を、実際の住居跡が発見された位置にほぼ原寸大で再現する計画です。令和6年度のオープンを目指しています。(2022年11月)
お問い合わせ |
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北見市教育委員会社会教育部 ところ遺跡の森 郵便番号:093-0216 住所:北海道北見市常呂町字栄浦371番地 電話:0152-54-3393 FAX:0152-54-3538 |