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「ところ遺跡の森」便りは北見市常呂自治区内で『広報きたみ』に折込で配布されている社会教育情報内に毎号掲載しているものです。
イベント案内をはじめ、考古・自然など「ところ遺跡の森」に関連する情報を毎月お届けしています。
(毎月初め更新予定。ここに掲載したものは、写真・文章は当初掲載時のものから一部変更している場合があります。)
以前の記事は以下のリンクからご覧ください。
トコロチャシ跡遺跡群が今年4月から公開されます。敷地内は園路や展示設備が整備され、日常的な散歩にご利用いただけるほか、アイヌ文化のチャシ跡やオホーツク文化の住まいの様子を再現している場所もあります。
オホーツク文化の住まいは、遺跡の現地に実物大で再現したものです。上屋は現代建築で造られていますが、屋内は当時の様子が分かるように再現しています。中央に焚き火の場所、その周りに粘土を敷きつめた土間があります。また、壁際にクマの頭骨を集めた儀式の場所があるのも特徴です。古代の居住空間を体験しに、春になったらぜひ訪れて見てください。
トコロチャシ跡遺跡群の展示品製作に参加してみたい方を募集しています。
クマの頭骨模型の色付け作業に参加し、リアルな再現を目指しましょう。色付けした模型は4月から実際に展示されます。
2025年は中学校の教科書が改訂される年です。といっても、現在使われている2021年度版のときに大改訂が行われており、今回行われるのは小規模な改訂です。
現在の中学社会の教科書では、開拓以前の北海道の歴史について紹介したページが設けられています。小学校の社会で習う歴史は、本州・四国・九州地方を中心としたものです。これに対し、かつての北海道には本州以南と異なる文化の歴史がありました。弥生時代、本州以南では稲作の文化に移行していきましたが、北海道にはこの文化が広まることはなく、独自の文化が形成されていきます。このため北海道では時代区分も独自のものになっており、縄文時代の後は続縄文時代(紀元前4世紀~後6世紀頃)、擦文時代(7~12・13世紀頃)、そしてアイヌ文化期と移り変わっていきました。また、オホーツク海沿岸地域では、続縄文時代末から擦文時代中頃にかけてオホーツク文化と呼ばれる外来の文化が存在した時期があります。現行版の中学の教科書では、簡単な時代年表とともにこれらの各時代・文化の名前が紹介されています(「擦文時代」ではなく「擦文文化の時代」と表記されるなど、出版社によって表記の仕方は異なります)。
と言っても、教科書の中に少しだけ登場した内容を覚えている人はそれほど多くないようで、「続縄文時代」「擦文時代」「オホーツク文化」といった用語はまだまだ一般的な知名度が高くないようです。逆に、北海道の遺跡には未知のものに触れる楽しさがまだたくさんあるとも言えます。
ところ遺跡の森では、今年も考古学を通して、地域の魅力を発信できるよう活動していきたいと思います。
北海道の歴史の時代区分については、次のページでもう少し詳しく紹介しています。
北海道は黒曜石が多く産出するところであり、石器の材料として古くから使われてきました。黒曜石産地としては遠軽町白滝が有名で、展示物を見た来館者の方にも「白滝の石ですか?」と聞かれることが多いです。これは最近、白滝遺跡群の出土品が国宝に指定されたことも関係しているようです。
ですが、北見市一帯では常呂川流域にも複数の黒曜石産地があります。まず常呂川の上流、置戸町には所山、置戸山という2つの産地が知られています。特に所山は、石器に適した良質で大形の黒曜石が大量に産出するため、石器が使われた時代には白滝と並ぶ地位を占めていました。どの産地の黒曜石が多く使われているかは遺跡によって異なりますが、北見市内の遺跡の全般的な傾向としては、置戸町所山産の黒曜石が最も多く、次いで白滝産の黒曜石が使われていたようです。
黒曜石の産地にはもう1つ、ケショマップ川の上流のものがあります。あまり有名ではない川ですが、常呂川の支流、無加川に留辺蘂町厚和で合流する小河川です。この川を遡った北見市・遠軽町境界付近の山中では、灰色っぽい色が特徴の黒曜石が採れます。白滝や置戸ほどの産出量はなく、遺跡で出土する数も限られています。
観光客向けの公開事業が行われている白滝に比べると、これらの産地を訪れるのはそれほど容易ではありません。けれども上流に産地があるため、黒曜石は常呂川の川原でも見つけることができます。なお、川を流れ下って来た黒曜石は白っぽい外観になり、一目では他の石と見分けがつきにくいため、探すには少しコツをつかむ必要があります。
実りの季節である秋には、様々な草木が実をつけます。紅葉で黄色く色づいた森の中で、特に目につくのは赤い実です。遺跡の森で見られるものだけでも、エゾニワトコ、ユキザサ、コウライテンナンショウ、マイヅルソウなど、赤い実のなる植物にはいろいろあります。
なかでも変わった形の実をつけるのがマユミやオオツリバナなど、ニシキギの仲間(ニシキギ属)の木です。これらは濃い桃色の実を結ぶのですが、熟すと実の下部が割れ、内側の赤い種子が吊り下がって見えるようになります(写真1)。花は初夏に咲くのですが、黄緑色の小さなものであまり目立ちません。実のほうが鮮やかな色で、下向きに咲いた花のように見えます。この赤い種子、野鳥は食べるようですが、じつは毒があり、人が口にするとおなかをこわしてしまいます。そのためなのか、すぐに動物に食べ尽くされてしまうということもなく、実が冬まで残っていたりします。
一方、ニシキギの仲間は材がよくしなり丈夫なため、弓の材料として使われたことが知られています。なかでもマユミの木が良質とされ、そのため「マユミ=真弓」という名前が付けられています。常呂川河口遺跡ではアイヌ文化期の木製の弓が発見されていますが(写真2)、やはりニシキギの仲間が使われていたという調査結果が得られています。食用にはなりませんが、古くから利用されてきた身近な木だったのです。
今年も8月後半から9月前半にかけて、東京大学による大島1遺跡の発掘調査が行われました。昨年から継続して擦文時代の竪穴住居跡が調査され、土器や焼けて炭化した住居の部材などが発見されています。
今年度の調査は、写真のような状態から発掘が開始されました。調査途中の発掘現場では、このように十字形の帯状に一部を掘り残した状態を目にすることがよくあります。この帯状の部分はセクションベルトと呼ばれ、調査のためわざと掘り残されたものです。発掘の際には、土の堆積状況を確認しながら掘り進める必要があります。たとえば今回のような竪穴住居跡の場合、土中に掘った竪穴が土で埋まっているわけで、その土と土との境目を見分けなければなりません。さらにややこしいことに、通常は竪穴の縁の部分が崩れ、その土が竪穴内に流れ込んでしまっています。この場合、上から面的に掘り下げていくよりも、垂直方向から見たほうが土の重なりを見分けやすくなります。そこで、発掘は次の手順で進められます。最初にセクションベルトに沿った部分を溝状に発掘し、土の堆積状況を確認します。そしてここで得られた情報を元に、周囲を掘り広げます。最後にセクションベルト部分を発掘するわけです。
発掘調査は単なる「宝さがし」とは異なり、こうした地味で繊細な作業の積み重ねで行われているのです。
お問い合わせ |
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北見市教育委員会社会教育部 ところ遺跡の森 郵便番号:093-0216 住所:北海道北見市常呂町字栄浦371番地 電話:0152-54-3393 FAX:0152-54-3538 |