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武華原野に入植者が足を踏み入れ、汗にまみれ苦しみに耐えた開拓の歴史は、産業を興し郷土を育ててきました。
先人が刻んだ大きな業跡は、今立派に受けつがれており、風土に根ざした郷土愛は、留辺蘂の一層の発展を約束しています。
明治中期に千葉新太郎が郷土留辺蘂町に足を踏み入れて以来、うっそうとした原始林に覆われた武華原野にあいついで入植者が入り、開拓の鍬が振られて農地が広がり、次第に集落が形成されて参りました。
大正に入って鉄道が開通されるにおよんで、交通が大きく開かれ、入植者がさらに定着して大正4年野付牛村から武華村として分村独立し、大正10年には町制施行にあわせて町名を留辺蘂町と改称しました。
無加川流域に広がる豊かな原野は農耕が盛んに行われ農場が各地で営まれて人馬一体となって農業の基礎が築かれたのであります。
また、原始林のこの地方は伐開によって林業が盛んとなり、流送に頼っていた原木の運搬作業は大正9年に森林軌道が布設されて急速に大量輸送が可能となり、木工場が随所で動力音を響かせて、林業、林産業はかつてない活況を呈したのであります。
このようにして留辺蘂町の開拓の歴史は農業、林業を中心に発展してきましたが、戦前、戦後期にかけては、亜麻工場や東洋一を誇った水銀鉱山、農薬工場などが操業生産を続け、町の経済振興に大きな影響をもたらしました。
しかし、昭和30年から40年代にかけて大きな転換期を迎え工場の閉鎖や、町外移転が余儀なくされ、農業も離農者が相次ぎ、過疎化現象が急速に進んだ結果一時は2万人を数えた人口も減少の一途をたどり今では1万人を割る状態となっています。
先人が未踏の大地を切りひらき、郷土をはぐくんでから今、21世紀に歩み始めようとしています。
今では、4代目、5代目へと移り変わりつつある昨今、内外共に激動期を迎えている中で、たゆまないまちづくり、地域社会づくりが強く進められています。
1891(明治24年) | 中央道路開削に網走監獄の囚人を使役する。 |
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1892(明治25年) | 留辺蘂(4号)駅逓初代取扱人として千葉新太郎が入植。 |
1897(明治30年) |
野付牛村生顔常(モイコツネイ)村戸長役場を設置する。 河原田万蔵がポン湯温泉出願許可される。 |
1898(明治31年) | 國澤喜右ヱ門、森重要吉らがムカ原野に入植。 |
1899(明治32年) |
國澤喜右ヱ門、大江與四蔵が温泉出願許可される。 |
1906(明治39年) | オンネナイ原野に開拓移民20余戸入植する。 上枝平蔵、サロマ原野に入植する。 |
1907(明治40年) | 武華特別教授場(留辺蘂小学校の前身)設立。 |
1908(明治41年) | 佐呂間特別教授場(瑞穂小中学校の前身)設立。 |
1911(明治44年) | 西勝寺の説教所開設認可される(現花園)。 西武華特別教授場(温根湯小学校の前身)設立。 |
1912(明治45年) | 野付牛警察署留辺蘂巡査駐在所設置。 野付牛〜留辺蘂間の鉄道開通。 |
1913(大正2年) |
元町に留辺蘂郵便局を開設。 上武華特別教授場(大和小学校の前身)設立。 |
1914(大正3年) | 常紋トンネル完工。 森本某、元町に火力発電所新設、町に電燈が初めてつく。 |
1915(大正4年) | 野付牛村から分村。武華村が誕生。2級町村制施行。 上武華第二特別教授場(厚和小学校の前身)設立。 温根湯郵便局開設。 |
1916(大正5年) | 高倉安次郎が温根湯に水力発電所を新設。 温根湯地区に電燈がつく。 |
1917(大正6年) | 留辺蘂郵便局の局舎新築。電信業務開始。 |
1918(大正7年) | 奔(ポン)武華特別教授場(金華小学校の前身)設立。 電話業務開始。 |
1920(大正9年) | 官行事業開始され、森林軌道敷設。 |
1921(大正10年) | 町制施行。武華村を留辺蘂町と改称する。 留辺蘂〜温根湯間自動車運行開始。 |
1922(大正11年) |
瑞穂郵便局開設。 |
1923(大正12年) | 留辺蘂変電所が開設、市街および温根湯に配電。(北海道電灯会社) |
1928(昭和3年) | 北海道拓殖銀行留辺蘂出張所開設。 |
1929(昭和4年) | 富士見特別教授場(富士見小学校の前身)設立。 |
1932(昭和7年) | 2年連続凶作で救援米の払い下げを受ける。 |
1936(昭和11年) | 留辺蘂金山本格採掘を開始。 大和郵便局開設。 |
1938(昭和13年) |
1級町村制が施行される。 |
1939(昭和14年) | 野村鉱業(株)イトムカ鉱業所で水銀生産を開始。 |
1940(昭和15年) | 米の統制実施、配給制度となる。 金華郵便局開設。 |
1942(昭和17年) | 留辺蘂営林署設置される。 恵泉国民学校(恵泉小学校の前身)設立。 |
1944(昭和19年) | 伊頓武華郵便局開設。 仲町で大火、27世帯全焼。 |
1946(昭和21年) | 元山文教場(伊頓武華小学校の前身)設立。 |
1947(昭和22年) | 教育基本法により中学校を増設する。 |
1948(昭和23年) | 北見北斗高等学校留辺蘂分校発足。 |
1951(昭和26年) | 仲町で大火、61世帯全焼。 上金華小学校開校。 |
1952(昭和27年) | 留辺蘂電報電話局開設。 |
1953(昭和28年) | 温根湯市街大火、42戸全焼。 町立留辺蘂高等学校設立。 |
1954(昭和29年) | 15号台風で、大雪山系に4,000万石の風倒木でる。 |
1955(昭和30年) | 商工会議所認可される。 |
1956(昭和31年) |
留辺蘂高等学校が道立に移管。 |
1957(昭和32年) | 大雪国道開通(国道39号) |
1958(昭和33年) | 北見市泉の一部34戸が留辺蘂町に編入。 |
1960(昭和35年) | 留辺蘂町国民健康保険事業開始。 広報「るべしべ」創刊。 都市計画法地域指定。 森林軌道が廃止される。 |
1961(昭和36年) | 温根湯簡易水道給水開始。 |
1962(昭和37年) | 武華橋、留辺蘂橋(永久橋)が完成。 |
1963(昭和38年) | 町立母子健康センター開設。 瑞穂小・中学校改築。 上金華小学校廃校。 |
1964(昭和39年) | 留辺蘂上水道給水開始。 留辺蘂町史を発刊。 富士見、伊頓武華小学校廃校。 開町50周年記念行事挙行。 国道39号留辺蘂町内の舗装完了。 |
1965(昭和40年) | 留辺蘂町民憲章制定。 町の指定金融機関 北海道拓殖銀行を指定。 |
1966(昭和41年) | 留辺蘂町役場新庁舎完成。 |
1967(昭和42年) | 留辺蘂跨道橋完成。 温根湯一条橋(永久橋)が完成。 温根湯小学校改築。 |
1968(昭和43年) | 青少年会館完成。 大和、厚和両中学校廃校。 |
1969(昭和44年) | 北興化学工業(株)が転出。 町民会館、児童館、国民保養センター(町営温泉)が完成。 |
1970(昭和45年) | 消防本部、消防署開庁。 温根湯スポーツセンター、町営球場完成。 野村鉱業(株)イトムカ鉱業所が企業縮小。 |
1971(昭和46年) | 開拓資料館が開館。 精神薄弱者更生施設るべしべ光星苑が開設。 恵泉小学校、恵泉中学校廃校。 |
1972(昭和47年) | 70歳以上の老人医療費を無料化。 養護老人ホーム静楽園開設。 厚和小学校廃校。留辺蘂小学校改築。 |
1973(昭和48年) | 乳幼児医療費の無料化を実施。 救急業務を開始(消防署)。 |
1974(昭和49年) | (株)北海道リズム時計、企業進出。 開町60周年記念行事を挙行。 町花「エゾムラサキツツジ」、町木「アカエゾマツ」を制定。滝湯で温泉ボーリング成功。 旭運動公園完成。 宮下保育所開設。 消防庁舎、温根湯福祉センター完成。 |
1975(昭和50年) | 養護老人ホーム静楽園増築。 大和小学校一部焼失。大和小学校改築。 |
1976(昭和51年) | 地籍調査開始。 留辺蘂町立物産館完成。 母子健康センター移転改築。 |
1977(昭和52年) | 金華小学校廃校。 温根湯保育所開設。 中央公民館完成。 |
1978(昭和53年) |
山の水族館・郷土館完成。 |
1979(昭和54年) | 温泉水族館完成。 公共下水道工事に着手。 第17回全道身障者スポーツ大会開催。 |
1980(昭和55年) | 上水道第2期拡張工事完成。 留辺蘂町体育館、留辺蘂町弓道館完成。 あさひ保育所開設。 |
1981(昭和56年) | 第44回国民体育大会弓道競技開催地に決定。 「福祉とスポーツの町」を宣言。 イトムカ選鉱所を産業史跡として保存決定。 町立滝の湯センター改築。 |
1982(昭和57年) | 留辺蘂中学校改築。 町格技場完成。 |
1983(昭和58年) | つつじ公園完成。 中央橋架換完成。 学校給食センター移転改築。 |
1984(昭和59年) | 留辺蘂高等学校定時制課程閉鎖。 開町70周年記念行事を挙行。 新留辺蘂町史を発刊。 水郷大橋完成。 |
1985(昭和60年) | 温根湯中学校改築。 留辺蘂葬斉場完成。 野村興産(株)水銀含有廃棄物再資源実証プラント竣工。 留辺蘂高等学校移転改築。 |
1986(昭和61年) | 公共下水道終末処理場建設工事に着手。 宮下町墓地造成着手(新規)。 ノーマライゼーション地域指定(大和地区) 留辺蘂町高齢者勤労センター発足。 |
1987(昭和62年) | 全国高等学校総合体育大会弓道大会開催。 |
1988(昭和63年) | 第35回全日本勤労者弓道選手権大会開催。 「防犯の町」を宣言。 瑞穂地区農村環境改善センター完成。 留辺蘂町八方台スキー場オープン。 |
1989(平成元年) | 第44回国民体育大会秋季大会・弓道競技会開催。 下水道の供用開始。 消防署温根湯出張所新庁舎完成。 八方台スキー場ペアリフト・夜間照明完成。 |
1990(平成2年) | 「はまなす国体」記念品をタイムカプセルに埋設。 留辺蘂町体育協会30周年記念式典。 八方台スキー場人工降雪設備・ロッジ完成。 大和ノーマルセンター完成。 |
1991(平成3年) | 温根湯温泉イベント広場完成。 開基100年記念行事を挙行。 |
1992(平成4年) | 留辺蘂小学校新プール完成。 第7回全国選抜ゲートボール大会開催。 中学校英語教育に英語指導助手を配置。 |
1993(平成5年) | 留辺蘂橋架換完成。 図書館完成。 旭南団地公営住宅建て替え着手。 |
1994(平成6年) | 駅前「はあとふるプラザ」完成。 第32回北海道障害者スポーツ大会開催。 洞爺丸台風40周年森林復興記念行事を挙行。 巨樹の森設定とタイムカプセル埋設。巨樹の森コンサート開催。 大型トイレ「クリーンプラザおんねゆ」完成。 |
1995(平成7年) | 「道の駅・おんねゆ温泉」指定を受ける。 同エリアに「からくり王国」オープン。 雇用促進事業団建設の「サン・コーポラスおんねゆ」が完成。 西区住民センター完成。 |
1996(平成8年) | 道の駅おんねゆ温泉「果夢林」オープン。 駅西に中央公園整備。 花園まきばの里農村公園整備。 大規模林道厚和〜丸瀬布間完成。 |
1997(平成9年) | 資源ゴミの分別収集スタート。 八千代公園パークゴルフ場オープン。 八方台森林公園パークゴルフ場、宿泊研修施設「ぱるむ」オープン。 消防本部横に防災備蓄倉庫完成。 |
1998(平成10年) | 第19回全道ハンディキャップスキー大会開催。 (株)北海道リズム時計転出。 道の駅おんねゆ温泉「果夢林の館」オープン。 第30回網走管内身体障害者スポーツ大会開催。 北海道拓殖銀行北見支店留辺蘂特別出張所閉鎖。 町の指定金融機関 北見信用金庫へ指定替。 |
1999(平成11年) | 温根湯温泉・花水荘が破産宣告により営業停止。 温根湯温泉開湯100年。 郷土史「金華区史」発刊。 |
2000(平成12年) | 留辺蘂町中心市街地活性化基本計画を策定。 留辺蘂高校総合学科転換。 西照寺住職小川一乗さん大谷大学(京都)学長に就任。 西留辺蘂駅新設。 留辺蘂町文化連盟創立30周年。 |
2001(平成13年) | 白花豆研究会が「白花豆コロッケ」を製品化し販売開始。 富岡区と旭南町が合併。 森林文化のまち宣言記念「第50回みどり祭り」開催。 旧留辺蘂営林署が閉庁。 道の駅おんねゆ温泉「果夢林」入場者300万人達成。 中央通り街路事業開始。 台風15号の大雨で町内各地に被害。 |
2002(平成14年) | PFI方式による留辺蘂町、置戸町、訓子府町3町共同一般廃棄物処分場建設着手。 温根湯幼児学園閉園。 留辺蘂町地域商品券発行。 ごみ分別収集試行開始。 養護老人ホーム「静楽園」移転。 |
2003(平成15年) | 宮下保育所廃止。 自治会制度スタート。 マルキタ留辺蘂地方卸売市場閉鎖。 るべしべ光星苑移転改築。 「常呂郡西部3町広域行政協議会」設立。 |
2004(平成16年) | 観測史上最大の積雪を記録し、各地に被害。 ごみ分別完全実施スタート。 3町による一般廃棄物処分場供用開始。 「オホーツク圏北見地域合併協議会」設立。 |
2005(平成17年) | 「合併のぜひを問う住民投票」を実施。 留辺蘂墓地「平成区画」を受付。 三国山を北海道大分水点と命名。 農村公園と交流センター整備着手および愛称決定。 |
2006(平成18年) | 閉町式を実施。 114年の歴史に幕を閉じ、3月5日、北見市、常呂町、端野町、と合併し、「新北見市」が誕生。 |
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留辺蘂総合支所 総務課 電話:0157-42-2421 ファクシミリ:0157-42-2500 メール:ru.somu@city.kitami.lg.jp |