大島2遺跡の発掘調査(2021年度)

 北見市・常呂自治区では、毎年夏、東京大学常呂実習施設により発掘調査が実施されており、今年は大島2遺跡の発掘調査が実施されました。
 8月末には発掘調査現場の見学会も予定していましたが、緊急事態宣言発令のため、急きょ中止することとなりました。このページでは、今回お知らせする機会がなくなってしまった発掘調査の状況を掲載いたします。

 なお、ここに掲載する情報は現時点での発掘調査の経過をお知らせするものです。詳しい調査成果については今後、学会・刊行物等で正式発表が行われる予定です。この遺跡の調査成果を学術的な研究にご利用される場合は、このページの情報を引用せず、正式発表をお待ちください。

大島2遺跡とは?

 大島2遺跡(TK-11遺跡)は北見市常呂町字東浜に所在し、常呂川東岸の丘陵上、常呂森林公園の北側の山林の中に広がっています。この遺跡は国指定史跡「常呂遺跡」を構成する遺跡と同様、現在でも地表に竪穴の痕跡が残る場所として知られており、1970年に実施された測量調査では58基の竪穴が確認されていました。
 現在、この遺跡では東京大学常呂実習施設による調査が継続的に行われています。2009年に地形測量調査が開始され、2010年からは竪穴住居跡の発掘調査が実施されています。調査地点は遺跡の北西側にあたる一帯です。この場所は標高約65mの尾根になっており、尾根上に並ぶかたちで竪穴住居跡が残されています。現在は樹木で視界が遮られていますが、常呂川河口部から海岸一帯を広く見渡せる立地となっています。

大島2遺跡の地図
大島2遺跡の地形と竪穴群(1970年の測量調査による)。竪穴は東西2箇所にまとまって分布しています。このうち西側、緑色の枠で囲った部分が発掘調査地です。

これまでの発掘調査成果

 大島2遺跡ではこれまでに、4基の竪穴住居跡(1~4号竪穴)の発掘調査が完了しています。現在発掘調査が実施されている竪穴住居跡は5基目(5号竪穴)です。発掘調査された竪穴住居跡はいずれも正方形の平面プランで壁際に「かまど」を備えたものであり、擦文時代につくられたものであることが分かっています。また、5基とも建物が火災に遭っており、部材の一部が炭化して残っていました。

大島2遺跡の拡大地図
大島2遺跡の竪穴住居跡の発掘調査状況(2009年からの測量調査による)。

 遺跡の年代については、1号竪穴から出土した炭化木材を試料とした放射性炭素年代測定の結果が公表されており、11世紀後半から12世紀前半の範囲で、12世紀中頃の可能性が高い、という結果が示されています。住居跡で発見された土器も12世紀代に属すると考えられるものでした。以上のことから、大島2遺跡で発見されている擦文時代の竪穴住居跡は、擦文時代の終わり頃、12世紀半ばのものと推定されています。

2号竪穴から出土した擦文土器の画像
2号竪穴から出土した擦文土器。擦文時代でも終わり頃の特徴をもった土器です。

5号竪穴・2021年の発掘調査

 前年までの調査で、この竪穴住居跡が1辺約7mの四角形で、南側の壁に2基のかまどを備えていたことが分かっていました。また、住居の床面に3か所、長楕円形の穴と考えられる痕跡が確認されていました。2021年度の調査では、住居跡床面の詳しい調査が行われるとともに、これら「かまど」と長楕円形の穴の調査が実施されました。

発掘調査現場の様子の画像
発掘調査現場の様子。
住居跡内から出土した板状の炭化木材の画像
住居跡内から出土した、建築部材と考えられる板状の炭化木材。出土位置・出土状況を図面に記録した後、回収されます。発掘調査と言うと刷毛(はけ)を使うイメージを持っている人がかなりいますが、土を掘れるわけではない刷毛の出番は、実はあまり多くありません。炭化材などのような、デリケートな遺物を掘り出す最後の仕上げに使われることがある程度です。

かまどの調査

 2基のかまどのうち、西側の1基の調査が行われました。
 かまどは、すでに調査が完了した1~4号竪穴でも見つかっており、石や土器片、草や木材などを芯材に、粘土を固めて作られるのが一般的でした。また、かまどの内部や周辺では、炭化した穀類など、当時の食料が分かる試料が発見される場合もあります。
 通常は、遺跡にかまどがそのままの形で残っていることはなく、潰れた状態で見つかります。今回の調査でも、かまどが本来どのような形状だったかを復元するため、どのように壊れているかを記録しながら丁寧に発掘が行われています。また、炭化した穀類のような微細な試料を検出するため、かまど周辺は土ごとサンプルの回収が行われました。これらの詳細な分析は発掘調査終了後に時間をかけて実施されます。

発掘中のかまどの画像

発掘中のかまど。周囲の土は火で焼けて固まっています。

かまどの近くから発見された土器片の画像
かまどの近くから発見された土器片。文様などの特徴から、12世紀代のものと考えられます。

長楕円形の穴

 前年の調査で、竪穴の床面には西の壁側で2箇所、北の壁側で1個所、穴が掘られていたらしいことが分かっていました。いずれも竪穴の床面まで掘って初めて存在が確認できたものであることから、竪穴住居が使われなくなってからではなく、竪穴住居が使われているときには掘られていたものと考えられています。
 この地域では擦文時代の竪穴住居跡は大量に見つかっていますが、それに比べて墓があまり見つかっていないという大きな謎があります。どこに墓をつくったのか、1つの説として、竪穴住居跡を再利用してつくられたのではないかというものがあります。こうしたことから、この住居で発見された穴も墓だった可能性を考えて発掘が行われました。
 現段階では、この穴の機能について結論は出ていません。穴の内部の土はサンプルとして回収されており、穴の内部にあったものを示す手がかりはないか、今後理化学的な分析を含めて検討が行われる予定です。

北の壁側で発見された穴の画像

北の壁側で発見された穴

 今年度の大島2遺跡の発掘調査は、規模を縮小して実施されました。今回調査された5号竪穴にはもう1基のかまどなど、未調査の部分が残っているため、来年度も継続して調査が行われる予定です。

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