国指定史跡「常呂遺跡」

史跡常呂遺跡の標識の写真

 史跡「常呂遺跡」は、常呂川河口周辺からオホーツク海沿岸、サロマ湖東岸まで広がる大規模な遺跡です。この地区には多数の遺跡の存在が知られていますが、その中で特に保存状態が良好ないくつかの遺跡が「常呂遺跡」の名称で国指定史跡となっています。史跡「常呂遺跡」とは1箇所の遺跡ではなく、これらの遺跡の総称ということになります。

 史跡「常呂遺跡」の特色の1つはその地形の保存状態にあります。「常呂遺跡」では、大昔、この地域に住んだ人々がつくった竪穴住居の跡が、現在でも確認できる状態で地面に窪みとなって数多く残っているのです。こうした竪穴の跡と見られる窪みが史跡「常呂遺跡」の範囲全体で合計約2700基見つかっています。このような形で古い竪穴の跡が残ることは、北海道をはじめとする寒冷な地方ではしばしば見られることですが、史跡「常呂遺跡」のように広大な面積にわたり多数の竪穴跡が残されている事例は貴重です。さらに、かつて北海道で栄えた独特の文化である、擦文文化とオホーツク文化の遺跡が見つかっており、両者の関係を探る上でも重要な遺跡であることが認められました。こうした理由から「常呂遺跡」は国指定史跡として保護されています。

 「常呂遺跡」は一部が「ところ遺跡の森」として整備・公開されていますが、大部分は大きな改変を受けることなく保護されており、現在でも発見当時の面影を見ることができます。

史跡「常呂遺跡」の範囲と構成遺跡

 史跡「常呂遺跡」は、以下の4つの地区から構成されています。4つの地区を合わせた国指定史跡の範囲の面積は約128ヘクタールにおよびます。

 D.常呂川右岸台地竪穴群(トコロチャシ跡遺跡群)には以下の遺跡が含まれます。

国指定史跡「常呂遺跡」の範囲を示した地図
※この地図は、国土地理院発行の2万5千分1地形図(「常呂」およびサロマ湖東部)を使用したものです。

 史跡「常呂遺跡」は昭和49(1974)年に国史跡の指定を受けました。このとき指定されたのは4つの地区のうち常呂竪穴群(A)、栄浦第二遺跡(Bの大部分)の2地区です。このとき史跡指定された地区では合わせて約2500基の竪穴の跡が見つかっており、史跡の中核をなす地区となっています。

 その後、史跡指定区域は3次にわたって追加がおこなわれました。昭和62(1987)年には栄浦第一遺跡を含む地区(Bの西側部分)が史跡に追加されました。続いて平成2(1990)年にはC.岐阜台地西部竪穴住居群地点が史跡に追加されました。この地区は「ところ遺跡の森」として整備・公開されています。さらに平成14(2002)年にD.常呂川右岸台地竪穴群地点(トコロチャシ跡遺跡群)が追加して史跡の指定を受けました。この地区では竪穴住居以外にアイヌ文化期のチャシ跡も残っています。

史跡「常呂遺跡」と世界遺産

 国指定史跡である常呂遺跡は、2004(平成16)年、「オホーツク沿岸の古代遺跡群」の一部として北海道遺産にも選定されました。
 さらに2007(平成19)年、北見市は北海道・標津町と共同で「世界遺産暫定一覧表記載資産候補に係る提案書」を文化庁に提出しました。審査の結果、「世界文化遺産暫定一覧表」への記載は見送られましたが、「世界文化遺産暫定一覧表記載候補の文化資産」として位置づけられました。北見市では今後とも、史跡の価値をPRする活動を続けていきます。

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ところ遺跡の森
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FAX:0152-54-3538
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