サロマ湖東岸には「岐阜台地」と呼ばれる小高い地形が広がっています。この岐阜台地では旧石器・縄文・続縄文・擦文の各時代の遺跡が見つかっています。
その中でも岐阜台地の西側の栄浦地区にはST-6、ST-7、ST-8遺跡、ST-9遺跡と様々な時代の集落遺跡が密集しており、また多数の竪穴住居跡が埋まりきらずに残っていました。こうしたことから、この地区の遺跡は1990(平成2)年、「史跡常呂遺跡」の範囲の追加という形で国指定史跡に指定されました。これが常呂遺跡のうち「岐阜台地西部竪穴住居群」と呼んでいる地区であり、現在、史跡公園「ところ遺跡の森」となっています。
ST-9遺跡はサロマ湖に面する側に位置する擦文時代の集落遺跡で、約40基の竪穴住居跡が見つかっています。また、アイヌ文化期のチャシ跡と考えられる遺構も1箇所見つかっています。
ST-6、ST-7、ST-8遺跡はいずれも縄文~続縄文時代の集落遺跡で、台地の北側から入る谷の周辺に広がっています。竪穴住居跡は3つの遺跡で合わせて100基を超えると推測されています。
| 遺跡名 | ST-6遺跡、ST-7遺跡、ST-8遺跡、ST-9遺跡 [国指定史跡(常呂遺跡)] |
|---|---|
| 所在地 | 北見市常呂町字栄浦 |
| 立地 | サロマ湖に面した標高10~23mの海成段丘上 |
| 時代 | 縄文(前・中・晩期)・続縄文・擦文・アイヌ |
| 遺構・遺物 | 竪穴住居跡、埋甕、チャシ跡 土器・石器 |
| 現況 | 史跡公園「ところ遺跡の森」として整備 |
| 文献 | 常呂町教育委員会 1993『史跡 常呂遺跡』 |
縄文時代~続縄文時代の集落跡
縄文時代~続縄文時代の竪穴住居跡は円形または楕円形の掘り込み(竪穴)を作って建てられていました。ST-6遺跡・ST-7遺跡・ST-8遺跡の3つの遺跡では、この時代の竪穴住居の痕跡と考えられる円形・楕円形の窪みが多数見つかっており、合計で100以上の竪穴住居があったものと見られます。
上の写真はST-8遺跡で見つかった続縄文時代の竪穴住居跡です。住居跡で見つかった土器から、約2000年前、続縄文時代前半頃のものと推定されています。発掘調査で住居の掘り込みの形を確認した結果、単なる円形の竪穴ではなく、出っ張り(写真上部)があることが分かりました。こうした出っ張りのある竪穴の住居は縄文時代の終わりから続縄文時代に多く見られます。この出っ張り部分は竪穴住居の玄関とされており、住居の本体から玄関を張り出すことで外からの冷気を入りにくくする防寒対策であったと考えられています。
《ST-8遺跡はところ遺跡の森の「続縄文の村・縄文の村」として公開されています》
ST-8遺跡では、竪穴住居跡の他に埋甕も見つかりました。埋甕とは大型の土器を単独で穴に入れて埋めたものです。墓の1種とされており、乳幼児を土器に入れて埋葬したものなどと考えられています。
埋められていた土器は高さ37cm、直径32cmの大きさで、口の広い壷形をしたもので、縄文時代晩期・約3000年前に作られたと推定されるものです。
擦文時代の集落跡
ST-9遺跡では、擦文時代の住居跡が約40基見つかっています。擦文時代の住居は四角い掘り込みをもつ竪穴住居で、床の中央に炉、壁際にはかまどが設けられていました。写真の1号住居跡は擦文時代の住居では特に大きなもので、掘り込み部分だけで10m四方の規模があり、10~20人程度が居住できたものと推定されています。かまどは西側の壁に2基並んで作られていました(写真上部の壁際)。
《ST-9遺跡はところ遺跡の森の「擦文の村」として公開されています》
発掘された住居からは、擦文土器も多数見つかっています。擦文土器の中では比較的新しいグループに属し、約1000~900年前頃のものと考えられます。
《※1号住居跡で見つかった擦文土器の一部は現在、ところ遺跡の館で展示中です》
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