大島1遺跡:2024年・東京大学の発掘調査

大島1遺跡の発掘調査

 北見市常呂地域では、毎年夏に東京大学による遺跡の発掘調査が実施されています。2017年からは、北見市常呂町字東浜地区に所在する大島1遺跡で、継続的な調査が行われているところです。
 調査期間中には、発掘現場を特別公開する見学会も実施しています。2024年は8月31日に見学会を予定していましたが、当日は豪雨によりやむを得ず中止となりました。そこでこのページでは、2024年に公開できなかった発掘調査の様子をご紹介します。
 なお、このページの内容は、先ごろ東京大学常呂実習施設より出された2024年度の調査概報の内容に基づいています。掲載している図・写真は、特に断りのない限り東京大学常呂実習施設よりご提供いただいたものです。

遺跡の位置

 大島1遺跡は、北見市常呂町字東浜地区にあります。下に表示したGoogleマップの中央、国道238号線の南側にある森の中に広がっています。

2024年の発掘調査

発掘調査地点

 大島1遺跡には、他の常呂地域の遺跡でも見られるように、埋まりきらない状態で残った竪穴住居跡が分布しています。1970年に行われた測量調査では、合計169基の竪穴の存在が記録されています。
 下の【図1】は遺跡内の一部を示したものです。竪穴住居跡は尾根の上に並ぶように分布しています。このうち1基が今回の発掘調査の対象です。

大島1遺跡の竪穴住居跡分布図
【図1】大島1遺跡の竪穴住居跡(部分)と発掘調査範囲 橙色の個所が竪穴住居跡です

発掘調査のようす

 発掘された竪穴住居は、整った正方形をしていました【図2】。正方形をした竪穴住居は、擦文(さつもん)時代の特徴です。後で紹介する土器の特徴も合わせて考えると、この住居は擦文時代でも後半の、11世紀ころのものと推定されます。
 当時は、この正方形の竪穴の上に柱を立て、屋根を組み上げて住居を建てていました。この建物部分は火災で焼けており、部材が炭になった状態で残っていました。

発掘された竪穴住居跡(真上から見た状態)
【図2】発掘された竪穴住居跡

 竪穴住居跡内では、住居に使われた木材が焼けて炭になった状態で発見されました【図3】。通常であれば、地中で腐敗・分解されて残らないのですが、炭化したおかげでその形状が分かる状態で残っていたわけです。木材は丸材だけでなく、板材、角材にも加工して使われていたことが分かります。

炭化木材の出土状況
【図3】発見された炭化木材

 壁際からは、縦に立った状態の炭化木材も見つかりました【図4・矢印部分】。竪穴の壁は土のままではなく、板が張られていたようです。さらにその手前【図4・中央付近】には、細長い植物の茎が並んだ状態で見つかっています。これは屋根を葺いていた葦のような植物が焼け残ったものと考えられています。

壁材(矢印)と屋根材の出土状況
【図4】壁材(矢印)と屋根材

出土遺物

 竪穴住居跡内では、当時の人が使った道具も発見されています。【図5】の小形土器は、一部欠けてしまっていますが、かなり良い状態で残っています。【図6】は紡錘車(ぼうすいしゃ)と呼ばれる土製品です。糸つむぎの道具である「紡錘」の一部で、本来は中央の穴に木製の軸が通してあったものと推定されます。擦文時代の遺跡ではよく見つかる出土品の1つです。

小形土器の出土状況
【図5】小形土器
紡錘車の出土状況
【図6】紡錘車

 【図7】はもっと大きな土器の一部です。【図8】のような土器のうち、文様が描かれた上半分の部分の破片に当たります。11世紀ころに作られたと考えられるものです。

擦文土器破片の出土状況
【図7】擦文土器の破片
復元された擦文土器の参考写真
【図8】復元された擦文土器【参考品・ところ遺跡の森所蔵】

2025年の発掘調査

 大島1遺跡では2025年も発掘調査が行われます。今回ご紹介した竪穴住居の最後の調査が行われるとともに、新しく別の竪穴住居跡の発掘調査が開始される予定です。
 8月30日(土)に遺跡見学会の開催を予定しております。参加には事前にお申し込みが必要です。詳しくは以下のページをご覧ください。


お問い合わせ
北見市教育委員会社会教育部
ところ遺跡の森
郵便番号:093-0216
住所:北海道北見市常呂町字栄浦371番地
電話:0152-54-3393
FAX:0152-54-3538
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