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約2400~1400年前(紀元前4~後6世紀)に相当する時代です。約2400年前以降、本州では広い範囲に農耕文化が普及し弥生時代を迎えますが、当時農耕に適さなかった北海道では縄文文化の伝統を残した、狩猟・採集を生業とする文化が続きました。
縄文時代から全く変化がなかったわけではなく、本州から鉄製品が持ち込まれるようになったことにより、鉄器と石器が併用されるようになりました。また、サハリンや千島列島など、北方の広い範囲との交流が認められるようになるのもこの時代の特徴です。
展示では続縄文時代を特徴づける土器と共に、広域的な交流の証拠となる装飾品なども展示しています。
【写真1 続縄文時代前期の土器(宇津内IIa式土器)】
続縄文時代には、縄文土器の伝統を引き継いだ縄文のある土器が作り続けられていました。とは言え、約1000年続いた続縄文時代の間に、作られる土器は少しずつその姿を変えていきました。土器の変化に基づいて、続縄文時代は早期・前期・中期・後期・晩期に分けられています。
早期・前期・中期は北海道内でも地域ごとに特色のある土器が作られていた時期です。常呂を含むオホーツク海沿岸地域では宇津内IIa式(うつないにえーしき)土器(写真1)に代表される系統の土器が作られていました。
【写真2 続縄文時代後期の土器(後北C2・D式の注口土器)】
続縄文時代後期には、道央部の後北C1式土器、後北C2・D式土器(写真2)が北海道全域に広まりました。北海道全体が1つの文化圏を形成するようになったと言える時期です。
【写真3 続縄文時代晩期の土器(北大I式土器)】
続縄文時代晩期には縄文を全く付けない土器が現れます(写真3)。この頃の本州ではすでに土器に縄文は使われなくなっていましたが、その影響が北海道まで伝わってきたものと考えられています。
【写真4 琥珀製の玉】
【写真5 ガラス玉】
続縄文時代には、豪華な副葬品をもつお墓が多数つくられました。土器や石器などの生活用品の他、首飾りなどの装身具も見つかっています。特徴的なものとしては琥珀製の玉(写真4)を連ねた首飾りがあります。数百~数千の玉を連ねて作られたもので、材料の琥珀はサハリンからもたらされたものの可能性が高いとされています。こうした多数の副葬品はどの墓にも納められているわけではなく、村の指導者や呪術師など、特別な地位にあった人の墓に収められたものと考えられています。その他、続縄文時代の後半になると、本州から手に入れたと見られるガラス玉(写真5)を遺体と一緒に葬った墓の事例も見つかっています。
【写真6 異形石器】
続縄文時代には、縄文時代と同様、矢じり、ナイフ、斧などの石器が多く使われていました。一方、少し変わったものとして「異形石器(いけいせっき)」と呼ばれる不思議な形の石器がしばしば見つかります(写真6)。矢じりやナイフのような、刃物として使う普通の石器と違い実用品ではなく、まじないやお祈りのために作ったものとされています。
これらの石器の形は人や動物をかたどったものと言われていますが、はっきりしたことは分かっていません。写真6は左から鳥、ムササビ、ヒトの形ではないかと言われています。
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