ところ遺跡の館展示案内:アイヌ文化

アイヌ文化

 「アイヌ」とはアイヌ民族の言葉で「人」を意味します。アイヌの人々の暮らしは江戸時代に残された文献でも伝えられていますが、文献に記録される以前のことについては、詳しく分からないことも多くなってきます。

 文献記録が十分でない時代については、考古学的な調査を中心に研究されています。まず、どこからを「アイヌ文化」の時代とするかが問題となりますが、擦文時代までの北海道では土器を作り、竪穴住居に住む文化が続いてきたのに対し、13世紀頃にそうした文化が変化していったと考えられています。擦文土器に代わって交易で入手した鉄鍋が使われるようになり、また住居は平らな地面に建てる平地住居になっていきました。こうした変化が起こった時期以降を、考古学上では「アイヌ文化期」と呼んでいます。

 擦文時代までは目立つ形で残りやすい竪穴住居跡や土器の破片の存在から遺跡が多く見つかっていますが、アイヌ文化期にはそのどちらもほぼなくなるため、常呂地域で見つかっている遺跡も擦文時代以前に比べて少なくなります。その中でも代表的なものとしては、チャシ(砦)や送り場(祭祀の場所)の跡、墓地の遺跡などが発見されています。遺跡の館では、こうした遺跡から出土した主な資料を展示しています。

内耳土器と鉄鍋

内耳土器

【写真1 内耳土器】

 アイヌ文化期になると本州の物品が北海道でも多く流通するようになります。擦文時代までは盛んに利用されていた土器は次第に作られなくなり、その役割は鉄鍋に取って代わられていきます。14・15世紀頃、アイヌ文化の中でも古い時期の遺跡からは「内耳土器」と呼ばれる土器(写真1)が見つかりますが、これは北海道で最後に作られた土器の種類と言えるものです。鉄鍋を模倣して作られたもので、内側に取っ手を付けるための穴の開いた出っ張り(この出っ張りを「耳」といいます)が作られています。

アイヌ文化の木製品

マキリ(小刀)の柄

【写真2 マキリ(小刀)の柄】

魚叩き棒

【写真3 魚叩き棒】

 木で作った道具は、捨てられると数年で朽ちて原形をとどめなくなってしまうため、遺跡からはなかなか見つかりません。常呂地域にある常呂川河口遺跡では、アイヌ文化期の木製品が偶然、原形をとどめた状態で発見されました。地下水のおかげで空気にさらされず、朽ちずに残ったものです。弓や小刀の柄の装飾(写真2)、魚叩き棒(写真3)、船の部材など、数百年前の生活を示す多数の品々が見つかっています。

遺跡の時代解説(ところ遺跡の館展示案内)

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