常呂の遺跡:TK-66遺跡

TK-66遺跡

TK-66遺跡
【TK-66遺跡】

 TK-66遺跡は北見市常呂町字栄浦の中の、「鐺沸(とうふつ)」と呼ばれる地区にあり、サロマ湖に面した低地に位置しています。隣接する砂丘上には国指定史跡「常呂遺跡」の一部をなす栄浦第二遺跡が広がっていますが、砂丘の下の低地では遺跡の存在が知られていませんでした。東京大学による遺跡分布調査によりこの低地から見つかったのがTK-66遺跡です。

 東京大学による調査では縄文・続縄文時代の土器、石器やアイヌ文化のものと見られる鉄鍋などが見つかっていました。その後、鐺沸地区を走る道道「サロマ湖公園線(旧称:佐呂間・常呂線)」の拡幅が行われることになり、道路工事で破壊される部分の発掘調査が行われました。


遺跡名 TK-66遺跡
所在地 北見市常呂町字栄浦
立地 サロマ湖畔の低地
時代 縄文・続縄文・アイヌ文化
遺構・遺物 竪穴住居跡・土坑・配石炉
土器・石器・鉄鍋
現況 草地(一部は道路建設、建物などにより消滅)
文献 東京大学文学部考古学研究室 1972 『常呂』
常呂町教育委員会 1995 『栄浦第二・第一遺跡』

TK-66遺跡の発掘調査

TK-66遺跡の発掘調査区(橙色の範囲)※内部の黒塗り部分は発掘された竪穴住居跡
【TK-66遺跡の発掘調査区(橙色の範囲)※内部の黒塗り部分は発掘された竪穴住居跡】

 TK-66遺跡では道路の拡幅工事にあたって発掘調査が行われました。この道路は栄浦第一遺跡、栄浦第二遺跡も通っており、これらの遺跡も同時に発掘調査が行われ、調査成果は報告書『栄浦第二・第一遺跡』(1995年)としてまとめられています。

 しかし当時はこの地区の遺跡地図が整備されていなかったため、報告書では誤ってTK-66遺跡の範囲まで栄浦第一遺跡の範囲として掲載されてしまっています。正しくは地図に橙色で示した発掘調査区はTK-66遺跡に含まれるものです。

 この発掘調査では、竪穴住居跡が15基(14号竪穴~25号竪穴)、土坑(墓や貯蔵穴などを含む穴の跡)が75基(ピット106~ピット156)見つかったほか、屋外に作られた配石炉なども見つかりました。

縄文時代の配石炉

円環状に並んだ縄文時代の配石炉
【円環状に並んだ縄文時代の配石炉】

 縄文時代の少し珍しい遺構として、屋外に設けられた配石炉が見つかっています。縄文時代前期末の押型文土器が一緒に見つかっており、この時期のものと推定されています。遺跡のある場所は基本的に砂地ですが、配石炉のある範囲だけは粘土層が広がっており、人為的に粘土を敷き詰めた可能性も考えられています。

 粘土層の範囲は一部が縄文時代晩期の竪穴住居跡により破壊されていますが、残っている部分から見ると中心にやや大型の配石炉があり、そのまわりを取り巻いて円環状に並ぶように配石炉が作られていたようです。

 はっきりしたことは分かっていませんが、儀式やお祭りのために作られたものかもしれません。

続縄文時代の土坑

土器が置かれた土坑(106号土坑)
【土器が置かれた土坑(106号土坑)】

 続縄文時代の遺構は、主として続縄文時代前半期の竪穴住居跡や土坑が見つかっています。

 その中の1つ、106号土坑では穴の中に土器が2つ置かれていました。それぞれ高さ約45cmと約32cmの、比較的大きな土器ですが、ほとんど壊れていない完全な状態で埋まっていました。

 2つの土器はデザインに違いがあり、大きいほうが「宇津内IIb式」と呼ばれる北海道東部での伝統的なタイプ、小さいほうが「後北C1式」と呼ばれる道央部から広まってきたタイプの土器で、土器のデザインの変化を考える上で興味深い発見となっています。

「ところ遺跡の森」の関連ページ

お問い合わせ
北見市教育委員会社会教育部
ところ遺跡の森
郵便番号:093-0216
住所:北海道北見市常呂町字栄浦371番地
電話:0152-54-3393
FAX:0152-54-3538
よくある質問のページへ

行政・まちづくり

まちづくり協議会

市町村合併

行政評価

行財政改革・DX

財政

条例・規則

人事・採用

計画

連携協定・連携事業

統計

施設

入札・契約

工事検査

市議会

情報公開

申請・届出

監査

ご意見募集(パブリックコメント)

広聴

道路・河川

地域交通

広告事業

地域力の創造