縄文時代後期のオホーツク海沿岸地域では急激な人口減少があったらしく、遺跡がほとんど見つからない時期になります。それと共に中期・後期初頭まで流行していた円筒形の土器は姿を消しました。かわって、他地域の文化の影響も受けて、さまざまなデザインの土器が作られるようになりました。晩期には人口が回復し、遺跡の数が増加する一方、装飾的で華やかな土器も作られるようになりました。
縄文時代後期の土器
約4500年前から、3500年前ころまでの土器です。円筒形の北筒式土器にかわって複雑な形の土器が現れます。
■ 常呂川河口遺跡出土 ■ 高さ:約27cm
■ 縄文時代後期後半 ■ 約4000~3500年前
口縁の部分は5単位の波形で、上半部がややくびれた形となり、口縁とくびれの部分に刻み目の文様が2段になってめぐっています。また、内側から棒で突いてつけた瘤(こぶ)状の文様が口縁をめぐっているのが特徴です。
■ 常呂川河口遺跡・1201号土坑出土 ■ 高さ:約13cm
■ 縄文時代後期後半 ■ 約4000~3500年前
ほっけ澗(ほっけま:ほっけは魚へんに花)式またはエリモB式とされる土器。下半部に1個、穴が開けられています。縄文を付けてから曲線を引き、線で区画した外側の縄文を消す「磨消縄文(すりけしじょうもん)」という方法で文様が付けられています。
■ 常呂川河口遺跡出土 ■ 高さ:約42cm(底部欠)
■ 縄文時代後期末~晩期初頭 ■ 約3500~3000年前
道央・道南で作られていた御殿山式土器の影響を受けて作られた土器。底の部分の破片は見つかっていませんが、細長いつぼ型の土器で、渦巻き状のモチーフの文様が特徴的です。
縄文時代晩期の土器
約3500年前から、2500年前ころまでの土器です。特に晩期後半の幣舞式土器が多く、実用品の土器から墓に副葬される装飾的な土器まで、さまざまなものが見つかっています。
■ 常呂川河口遺跡出土 ■ 高さ:約10cm
■ 縄文時代晩期前半 ■ 約3000年前
縄文時代晩期前半のこの地域では、半月形のくぼみを付けた「爪形文(つめがたもん)」という文様の土器が作られました。この土器はその中では特殊な形の土器で、脚付きのコップのような形をしています。
■ 常呂川河口遺跡出土 ■ 高さ:約30cm(底部欠)
■ 縄文時代晩期後半 ■ 約2500年前
幣舞(ぬさまい)式は釧路市の遺跡名にちなんで名づけられています。底面が平らでなく、軽く張り出した曲面となっているのが特徴です。
■ 常呂川河口遺跡・234号土坑出土 ■ 高さ:約15cm・長径:約31cm
■ 縄文時代晩期後半 ■ 約2500年前
幣舞式土器では深鉢と浅鉢が一般的な形の土器です。この土器では縁に5か所の突起があり、特に1か所(写真左側)が高くなる形となっています。
■ 常呂川河口遺跡・788号土坑出土 ■ 高さ:約10cm
■ 縄文時代晩期後半 ■ 約2500年前
幣舞式土器には一般的な深鉢・浅鉢以外に、特殊な形や装飾の土器も多く作られました。この土器は舳先部分が片方しか残っていないものの、舟のような形に作られた土器です。こうした変わった形の土器は、墓への供え物など特殊な用途に使われたようです。
■ 常呂川河口遺跡・126号土坑出土 ■ 中央の最大の土器の高さ:約18cm
■ 縄文時代晩期後半 ■ 約2500年前
縄文時代晩期には墓に土器や石器などを一緒に埋める風習が盛んになりました。写真は1つの墓坑におさめられた土器のセットです。墓に入れる土器には実用品より特殊な形や装飾的な文様のものが見られます。右側3点は口径5cm程度の小型土器です。こうした小型の土器も墓から多く見つかります。
■ 常呂川河口遺跡・295a号土坑出土 ■ 高さ:約14cm
■ 縄文時代晩期後半 ■ 約2500年前
墓におさめられた土器で、大小11個セットになっていた土器の1つ。首の部分が細くくびれた土器で、くびれの上の部分の文様は人の顔を表現しているようです。表面は赤く着色されていたらしく、部分的にそのあとが残っています。
■ 常呂川河口遺跡・213号土坑出土 ■ 中央の土器の高さ:約10cm
■ 縄文時代晩期後半 ■ 約2500年前
2個1組の勾玉と一緒に墓におさめられた小型の壷型土器。中央の土器は大洞C2式と呼ばれる土器で、道南~東北地方で作られて持ち込まれたものと考えられます。左は地元産の幣舞式土器、右は幣舞式と大洞式の中間のデザインの土器になっており、珍しい組み合わせとなっています。
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