ライトコロ川口遺跡はライトコロ川がサロマ湖に流れ込む地点の左岸に位置する遺跡です(矢印の場所)。遺跡は氾濫原と見られる標高2~3m前後の低地に広がっており、川と湖に面した水際の一帯にあたります。
この地域では1968年から1970年にかけて東京大学による遺跡の分布調査が実施されていましたが、その際にはこうした低地から遺跡が見つかることはないと考えられていました。その後、1973年にこの遺跡が偶然発見されたことから、擦文時代の集落がこの低地域にまで及んでいたことが分かりました。
竪穴住居跡と見られる40基余りの窪みが発見され、1974年から1977年に東京大学文学部考古学研究室によって擦文時代の竪穴住居跡14基が発掘調査されました。合わせて14~15世紀頃にさかのぼるアイヌ文化期の遺構・遺物も発見されており、古い時期のアイヌ文化の姿を明らかにする上でも重要な遺跡となっています。
| 遺跡名 | ライトコロ川口遺跡 (ST-29遺跡) |
|---|---|
| 所在地 | 北見市常呂町字栄浦 |
| 立地 | ライトコロ川がサロマ湖に注ぐ地点の左岸部、標高2~3mの低地 |
| 時代 | 擦文・アイヌ |
| 遺構・遺物 | 竪穴住居跡(擦文)、送り場遺構・墓坑(アイヌ) 土器・石器・骨角器・金属製品 |
| 現況 | 森林・草地 |
| 文献 | 東京大学文学部考古学研究室・常呂研究室 1980 『ライトコロ川口遺跡』 |
アイヌ文化の送り場遺構
アイヌ文化では「物送り」と呼ばれる儀礼が行われたことが知られています。これは、あらゆるものに神が宿っていると考えていたアイヌの人々が、食べた動物の骨や使い終わった道具をまつって神を神々の世界に送る儀式のことです。「送り場遺構」とはこの物送り儀礼を行った場所の跡のことです。
アイヌの人々は、窪みとして残った状態の竪穴住居跡でしばしば物送り儀礼を行いました。この遺跡でも、いくつかの擦文時代の竪穴住居跡が物送り儀礼の場として利用されていました。そうした送り場遺構では送られた動物の骨や道具などが見つかります。この遺跡で見つかった送り場遺構では内耳土器(写真:鉄鍋を模倣して作られた土器)、鹿角製の銛頭などが見つかっています。
アイヌ文化の墓坑
擦文時代の竪穴住居跡には、送り場だけでなく墓が作られることもありました。この遺跡でも、アイヌ人の墓と見られる土坑が竪穴住居跡に掘り込まれているのが見つかりました。
人骨は見つかっていませんが、副葬品と見られる短刀・ガラス玉・コイル状鉄製品(写真)などが見つかっています。コイル状鉄製品はサハリンやアムール川流域の先住民のシャーマンが身につける腰帯の装飾品とよく似ていることが指摘されており、この墓にもアイヌのシャーマンが葬られていたのではないかと推測されています。
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