続縄文時代後半の土器

 北海道の各地域で地域色の強い土器が作られていた続縄文時代前半に対し、後半に入ると道央部の文化の影響が北海道全域に広まり、斉一的な文化圏が形成されます。

 続縄文時代後半は土器型式によって後期・晩期に分けられています。後期は後北C1式土器、後北C2・D式土器が中心に作られた時期で、晩期は北大I式土器、北大II式土器が中心に作られた時期です。

続縄文時代後期の土器

 2世紀から4世紀ころまでの土器です。道央方面で作られていた後北式系統の土器がオホーツク海沿岸地域でも広く作られるようになりました。

後北C1式土器
【後北C1式土器】

■ TK-66遺跡・106号土坑出土 ■ 高さ:約31cm
■ 続縄文時代後期前半 ■ 2世紀頃
 土坑内に伏せた状態で見つかった深鉢形土器。部分的にひびが入っているもののほぼ完形で、文様は胴下半部に縦方向の縄文、上半部には横方向の縄文と共に隆起線がつけられています。同じ土坑からは完形の宇津内IIb式の新しいタイプの土器も共伴して発見されました。


後北C2・D式土器
【後北C2・D式土器】

■ 常呂川河口遺跡・988号土坑出土 ■ 高さ:約29cm
■ 続縄文時代後期後半 ■ 3~4世紀頃
 墓におさめられていた高さ約29cmの深鉢形土器。文様要素の違いから後北C2式土器と後北D式土器とに分類されていましたが、のちに両者に時期の違いがないことが分かったため、現在では「後北C2・D式土器」と呼ぶのが一般的になっています。


後北C2・D式土器(注口土器)
【後北C2・D式土器(注口土器)】

■ 常呂川河口遺跡・900号土坑出土 ■ 高さ:約17cm
■ 続縄文時代後期後半 ■ 3~4世紀頃
 墓におさめられていた高さ約17cmの注口土器。一方に注ぎ口のついた注口土器は後北C2・D式土器で多く見られる器種の1つ。


後北C2・D式土器
【後北C2・D式土器】

■ 常呂川河口遺跡・738a号土坑出土 ■ 高さ:左から約13cm、約5cm、約8cm
■ 続縄文時代後期後半 ■ 3~4世紀頃
 1つの墓に副葬品として埋められていた小型土器のセット。


鈴谷式土器
【鈴谷式土器】

■ 常呂川河口遺跡・57号竪穴出土 ■ 高さ:約34cm
■ 続縄文時代後期後半 ■ 3~4世紀頃
 鈴谷式土器はサハリン中部から北海道宗谷地方を中心に作られた土器で、オホーツク地域ではわずかしか見つかっていない外来の土器になります。小さな点が横に並ぶ「櫛目文(くしめもん)」という文様と、底が尖った形はサハリン中部の土器と共通する特徴とされています。使われている粘土も地元産土器とは異なっているようであり、外部で作られて常呂に持ち込まれた可能性も考えられます。当時のサハリンと常呂地域との間に交流があったことを示す土器です。

続縄文時代晩期の土器

 5世紀から6世紀ころまでの土器です。後北式系統の土器にかわって北大式土器が作られるようになりましたが、オホーツク地域ではこの頃に遺跡が急減していきました。

北大I式土器
【北大I式土器】

■ 常呂川河口遺跡・57号竪穴出土 ■ 残存部の高さ:約21cm(底部欠)
■ 続縄文時代晩期前半 ■ 5世紀頃
 北大式土器は「北海道大学構内遺跡」にちなんで命名された型式名の土器です。続縄文時代の後の擦文時代の土器の作り方が現れ始めており、この土器でも表面を木のヘラで擦って仕上げたあとが見られます。


北大II式土器
【北大II式土器】

■ 栄浦第二遺跡出土 ■ 残存部の高さ:約17cm(底部欠)
■ 続縄文時代晩期後半 ■ 6世紀頃
 この土器は線で区画された内側に目の細かい縄文が入った文様となっています。この地域で縄文が使われた土器としては最後の段階のものです。続縄文時代晩期の遺跡は少なく、北大II式土器以降の資料もごくわずかしか見つかっていません。

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